虚構はしょせん虚構に過ぎない。だが虚構を求める人々の心は「真実」だ
URL:http://www.chironoworks.com/ragnarok/psychology/
管理人:浅野教授 neko_colum@hotmail.com


 
青少年は『凶悪化』しているのか:第一章〜第三章 (2005.01.22 Saturday) [論文]

 この論文は、教授がこのサイトとは全く関係のないところで仕上げたものです。
 基本的に論文用として書かれているので、今までのサイトの表現とはかなり異なりますが、その点はご了承ください。
 ただし、サイト公開用として次のような手直しをしています。

 ・行間を空けて読みやすくしている。
 ・重要な部分を強調している。

 本来、この二つの処理は論文としては不適切ですので、論文の形式の参考にされる方は注意してください。


青少年は『凶悪化』しているのか−統計と現実、イメージの剥離−

目  次
はじめに
 第一章 少年犯罪のイメージと実像
  1節 青少年は凶悪化しているのか
  2節 青少年の軽犯罪の増加は非行化の現われか
  3節 粗暴犯における少年比の増加は『凶悪化の証明』か
 第二章 強盗件数の増加をどう見るか
  1節 強盗件数の増加
  2節 自己成就型予言
 第三章 青少年は凶悪化ではなく純真無垢となっている
おわりに

はじめに
 近年になって青少年が凶悪化し続けているという報道が頻繁になされるようになった。
 1997年に神戸の中学生による幼児惨殺事件が起こり、2000年には佐賀バスジャック事件(5月3日)や岡山金属バット致傷事件(6月21日)、大分一家六人殺傷事件(8月16日)と相次いで少年による凶悪な事件が発生している。
 このような事件を背景として、報道の中には青少年が凶悪化しているのは自明の理であり、検討する必要性さえないと考えている媒体も少なくない。

 しかし、これらの一部の事件だけを取り上げて少年の『凶悪化』を叫ぶのは本当に正しいのであろうか。
 この論文は、少年犯罪の原因を探ろうとするものではない。統計と理論よって現実の少年犯罪とイメージ上の少年犯罪の剥離を解明していくものであり、通俗的なイメージに囚われない現実の少年犯罪はどのような姿なのかを研究するためのものである。

第一章 少年犯罪のイメージと実像

 1節 青少年は凶悪化しているのか

 近年になって青少年が凶悪化しているという言説がマスコミ及び一般社会の中で広く浸透している。
 1997年に神戸の中学生による幼児惨殺事件が起こり、2000年には佐賀バスジャック事件(5月3日)や岡山金属バット致傷事件(6月21日)、大分一家六人殺傷事件(8月16日)と相次いで少年による凶悪な事件が発生している。

 青少年白書平成10年度版の調査では「青少年による重大な事件などが増えていると思うか」という問いに対して、「かなり増えている」「ある程度増えている」と回答した合計が、13才以上20才未満の層で92.9%、20才以上の層では94.3%に達している(1)。

 しかし、このような社会に流付するイメージとは異なり、実際の犯罪統計が示すデータは、少年たちの凶悪化を示唆することはなく、逆に近年における少年の凶悪犯罪数は劇的に減少していることを示している。このことは既に多くの研究者や放送関係者たちによって指摘されている(2)。

  たとえば、年齢送別殺人率を十年ごとに算出してみた長谷川眞理子は、「殺人」で検挙される青少年の割合が戦後一貫して減少してきていることを指摘している。
 (中略)
 すなわち、「最近の青少年は簡単に人を殺すようになった」という通念とは逆に、十代では一九七〇年半ば以降、二十代では八十年以降は、「人を殺さなくなった」のである。

 広田照幸『教育言説の歴史社会学』
 (凶悪犯罪による摘発数は)一九六〇年代半ば以降、多少の変動はあったものの、ほぼ一貫して減少の傾向にあって、「第三の波」のピーク時でさえ最低レベルを更新しつづけていた。
 (中略)
 「殺人などの主要刑法犯が激増!」などといったように、主要刑法犯には殺人も含まれるから論理的にはたしかに間違った表現ではないにせよ、現実に増えていたのは殺人ではない以上、明らかにミスリーディングな見出し記事が、多くの新聞紙上をにぎわしていたのである。

 土井隆義『<非行>少年の消滅』

 では、何故統計が青少年の凶悪化を示唆していないと言うならば、それとは逆に青少年の凶悪化が叫ばれることとなったのであろうか。
 刑法学者の前田雅英は、自著『少年犯罪――統計からみたその実像』(3)の中で次のように述べている。

 少年の凶悪犯(殺人に強姦や強盗・放火を加えたもの)を犯す率は、ここ十年で三倍にもなってしまった。

 このような論調はこの著書だけではなく、マスコミなどで繰り返し語られてきた。そして、それを裏付けるかのように前田の著書では【図1】を掲載し、統計上間違いなく少年の凶悪犯罪が激増していると判断されることとなる。

 また、法務省の発行する犯罪白書(平成14年度版)(4)に掲載されている少年主要刑法犯のグラフ【図2】を見ても、少年の犯罪数は多少の波は存在するものの、右肩上がりに年々上昇していることが一目で明らかになっている。

 しかしながら、この二つの統計をそのまま受け取ることはできない。
 まず、【図2】のデータは凶悪犯罪に分類される「殺人・強盗・強姦・放火」を含まれるのは勿論のことであるが、それ以外にも粗暴犯「暴行・傷害・恐喝・脅迫」や知能犯「詐欺・横領」に窃盗犯など全てを含めてある。即ち、少年主要刑法犯の数字が上昇していることが、そのまま少年の凶悪犯罪が増加していることにはならない
 実は、警察庁の発行している少年犯罪の統計の中から、戦後の凶悪犯罪の件数のみを取り上げると【図3】となる。

 このデータを見ると、少年による凶悪犯罪は決して激増してはおらず、むしろ戦後から1990年にかけて一貫して急激に減少していることが判明する。前田による【図1】のグラフは、最も凶悪犯罪の件数が少なかった1990年を基準としているグラフであるために、あたかも急激な凶悪犯罪の上昇が近年特有であるかのように装っているが、現実はそうではないということも分かる。
 確かに、90年以後はわずかながら凶悪犯罪の件数は上昇しているのは事実であるが、全体の流れからして、大きな変化だとは到底いうことはできない。

 また、前田は「ここ一〇年間を見た場合に、少年の殺人犯は明らかに増加したといわざるを得ない」と述べているが、凶悪犯罪がこの十年間に増加しているのは事実としても、その増えた実数を担っているのは強盗件数であり、殺人数そのものはこの90年から2003年の間のみで見たとしても、一過性の上昇はあれども、基本的にほとんど増加していないことが分かる【図4】。

 これらを考えると、マスメディアに登場する統計の数字は正しい使い方がなされていないものが多く、信頼に足るものではない。
 それらの統計の誤用から『青少年の凶悪化』という答えを導き出すのは極めて安易な態度である。


 2節 青少年の軽犯罪の増加は非行化の現われか

 各年齢層人口十万人あたりの殺人(人口比)の推移【図5】を見ると、14歳〜19歳の殺人数は61年の4人をピークに減少をし続け、70年代後半には一人前後で推移していることが分かる。

 20〜24才の年齢層も、60年前後では10人と高い数値を持っていたが、その後急速に減少し、80年代以後は二人前後で安定して推移している。このことは、「最近の若者はすぐに人を殺す」という世間の通説とは異なり、「若者は殺さなくなった」ということを示している。主要少年刑法犯の急激な上昇は、決して少年犯罪の凶悪化を意味してはおらず、今の青少年は「おとなしく」なっているのである。

 ところで、主要刑法犯の数字を激増させているのが凶悪犯罪でないならば、何がこの数字を押し上げているのであろうか。

 社会学者の土井隆義により、第二次世界大戦後もっとも少年犯罪の件数が多かった1983年は「第三の波」と呼ばれ、戦後最悪と叫ばれたが、その内実はほとんどが店先の品物を万引きする程度の窃盗犯及び横領犯−その内訳のほとんどは「占有物離脱横領罪」という所謂放置自転車やオートバイの乗り逃げ−で占められていたことが指摘されている。

 当時の犯罪は「遊び型非行」と称されていたが、この遊び型非行とは「罪悪感のない遊びの非行」というイメージだけではなく、「そのほとんどが万引きや自転車の乗り逃げレベル程度の非行」という実体も表されていたのである(5)。

 この傾向は現在においても同様で、平成14年に検挙された検挙・補導された少年の内訳は、凶悪犯が2,130名(全体の約1.3%)なのに対し、窃盗犯と横領犯が134,661名(全体の約83%)と大半を占めている(6)。
 遊び型非行は現在では初発型非行と名を改められ、軽微な犯罪からやがて重大な犯罪へと移行すると目されていた。しかし、窃盗での検挙者の年齢別推移をみた【図6】では、10代の数字の動きと20代の数字とが全く対応していないことが分かる。

 これは、低年齢での非行が成長しても持続するわけではないということを示し、同時に広田照幸が言うように、「十代で万引きなどで捕まったりする者はいるが、ある年齢になったら落ち着いて、ほとんど皆まともに暮らしている」のである(7)。

 ただし、これは逆に言えばどんな少年が犯罪を起こすかどうかを、判断することができないということでもある。
 「初発型非行」という用語が作られたのは、警察関係者の間では当初の犯罪が軽微であったとしても、何度も繰り返すことにより徐々に悪質化が進み、やがては重大な犯罪に手を染めるというイメージが存在していたためである。だからこそ警察は「早期発見・早期治療」を叫び、初発型非行に重要な観点が置かれていたのである。

 しかし、現在ではこの考えは通用しなくなっている。「十代で万引きなどで捕まったりする者はいるが、ある年齢になったら落ち着いて、ほとんど皆まともに暮らしている」にも関わらず重大な犯罪が発生するのは、非行前歴のないごく普通の少年が突然重大な犯罪を犯してしまうことを意味している。第三の波の時点でも、非行少年と普通の少年の区別がつき難くなり、パトロールの警官も、どの少年に注意を向ければいいのかが分からなくなってしまっているという点が指摘されている。最近の少年犯罪が「わけのわからない」ものにしている理由は、この爆発性の犯罪が増加していることが理由の一つとしてあげられるであろう。


 3節 粗暴犯における少年比の増加は『凶悪化の証明』か

 「警察と少年非行」では、昨今の粗暴犯における少年比の増加が問題視されている(8)。

 凶悪犯や粗暴犯などのといった重要な犯罪の分野においても、近年は、成人による犯罪と比較して、少年による犯罪の突出した増加が著しく、検挙人員に占める少年比が顕著な増加傾向を示しているということである。

 後藤弘子(編)『少年非行と子どもたち』-警察と少年非行-

 警察庁発表の統計によると、粗暴犯において少年比が増加しているのは事実である。しかしながら、これは少年が成人よりも凶悪化していることを意味するわけではない。広田照幸が警察庁から発表された粗暴犯のデータをまとめた【図7】(9)によると、確かに粗暴犯全体の割合を占める少年の比率が高まっているが、高くなっているのはあくまでも比率であり、「凶悪化している」との言説とは逆に、青少年における粗暴犯の検挙人数は減少していることが分かる。

 検挙人数が減少しているにもかかわらず、比率が高くなっているのは、成人側の粗暴犯の検挙人数が、少年の減少数よりも遥かに減少しているからである。62年度と99年度を比べた場合、青少年が約4割に減少していることに対し、成人側は約2割にまでも減少している。

 つまり、少年の人口比率が高まったのは少年が凶悪化しているためではなく、少年の粗暴犯が減少する以上に、成人による粗暴犯の減少が著しいためである。逆に言えば、これは現行の保護システムが上手に機能し、一度犯罪に手を染めた少年たちが無事に社会復帰を為してまともな成人になった事の証明であると言える。

 このことを広田は、単純に少年比が上がっていることだけで「少年の粗暴化」と呼んだり、「史上最悪の事態」などと呼ぶのは統計データの誤用(悪用)であると述べ、「大人たちが昔に比べて平穏な日常を享受するようになったがゆえに、大人ほどドラスティックに粗暴犯が減少していっていない少年の世界の粗暴さに対して、過剰な不安や敵意を抱くようになったと考えられるのではないだろうか」と付け加えている。

 デュルケムは、犯罪に対して社会が加える反応の強度は、その犯罪の発生する頻度と反比例すると述べている(10)。少年が凶悪化していると声高に叫ばれ、残酷な少年犯罪の報道が騒ぎ立てられるのは、それが日常と化しているからではない。もしそうであるならば、我々はそれを「ただの事件」としてしか扱わず大した注意も払うことはない。少年の凶悪犯罪が我々の日常とはほど遠い、稀な出来事であるからこそ、少年の凶悪事件はマスメディアの「商品」となって我々の元に届けられ、我々はそれを「消費」するのである


第二章 強盗件数の増加をどう見るか

 1節 強盗件数の増加

 犯罪白書及び警察白書の統計により、青少年の殺人件数などが増加していないことが分かったが、強盗に関しては確かにここ数年の傾向ではあるが増加していることは事実である。では、少なくとも強盗に関しては「少年犯罪の凶悪化が進んでいる」と判断してもかまわないのであろうか。
 【図8】を見れば分かるとおり、強盗件数は戦後からしばらくは高い数値をキープしていたが、70年代にかけて急激に減少し、1975年から90年代まではほぼ横這いで推移していた。しかし、97年前後を境に少年の強盗件数は急激に増加していることが分かる。

 この97年の前後だけが高くなっているならば、あくまでも一過性によるものと見ることも可能であるが、実際は前年に及んでも高い水準のまま推移している。
 つまり、殺人などはともかく、強盗に関しては青少年の凶暴化が推進されていると一見判断できそうに思える。

 しかしながら、現実はそう単純なものではない。1997年以後の強盗件数の増加は少年の凶悪化によるものではないのである。
 通俗的なイメージでは、強盗と聞けば映画やドラマなどに見られる凶悪な事件を連想しがちな傾向がある。しかし、現実の強盗事件に日々接している人々の証言によると、少年の強盗事件の増加はそれほどドラスティックなものではなく、むしろ少年の凶悪性には無関係にな、取り締まる側の意図によるものだということが分かる。

 世論の関心が非行データに影響することは、20年以上も前から大村英昭などによって指摘されている。(11)
 例えば、80年代初頭に粗暴犯が急増したのは、70年代後半に社会問題となった校内暴力に対し、学校側の対応が変更され、多くの中学校が警察に通報するようになったためである。
 このことは、強盗事件の内訳を見ることでも分かる。青少年凶悪化言説からすると、「強盗致傷」「強盗強姦」「強盗致死」のうち、強盗致傷の数が増えているかのように判断されるが、実際は強盗致傷は大幅に増えているものの、手口の凶悪な強盗強姦と強姦致死とは増えておらず、「恐喝との境界線に近いケースが増えているのではないか」と堀康司によって分析されている。(12)

 公式な統計によると、第三の波以降は少年人口の減少もあってか、少年犯罪の数は減少している。ところが、1990年代後半の少年によるごく例外的な特異な事件が発生したことにより、少年犯罪が増加したという言説が広まり、大きな社会問題となった。また、同時に現行の少年法は少年に対して甘すぎると言われ、それを受けて警察は非行少年の補導や検挙活動を強める方針を打ち出したのである。

 かつて、少年が金品を脅し取った後に被害者に暴行を加えた場合、「窃盗及び傷害の容疑」として検挙されていた。しかし、1997年6月3日に行なわれた全国警察少年担当会議で、関口警察長官は「悪質な非行には厳正に対処、補導を含む強い姿勢で挑む」という方針を打ち出した。その方針に沿い、警察庁は8月に「少年非行総合対策推進要綱」を制定し、悪質で重大な少年犯罪に対してはより重く取り扱いことを決定したのである。

 ある家庭裁判所の長官は「万引きを発見されて逃げようとして店員に怪我をさせた少年に、警察は強盗致傷という逮捕状を取っているんです。それが検察庁の段階で窃盗と傷害に分けられて送致されてくるんですが、警察統計では強盗致傷のままです。ですから、実態と照合すれば、統計の数値は大幅に変わるはずです」と述べている(13)。

 朝日新聞2000年6月23日の記事では、東京の高校生が、別の高校に通う男子生徒を脅し、顔などで殴る蹴るの暴行を加えたうえで、金品を強奪したケースを強盗致傷容疑で逮捕されたケースが掲載されている。また、元家裁調査官の寺尾史子は、19歳の少女がCDを万引きし逃げる際に店員を突き飛ばしたという事例も強盗致傷として検挙されるようになったケースを報告している(14)。数年前は「たまごっち狩り」や「スニーカー狩り」が強盗としてしばしば検挙されてきた。


 2節 自己成就型予言

 このように、統計数字はそのまま実態を反映しているのではなく、世論の動向や警察の人員配置など、さまざまな要因により数値が左右される。これらは、近年における強盗件数の増加は、決して少年たちが凶悪化したわけではなく、むしろ「捕まえる側の都合によって数字が変化している」ことを指しているのである。

 これらの事例は、心理学の用語でいう「自己成就型予言」に分類される。
 自己成就型予言とは、意識的あるいは無意識的に、自己の予言や主観的期待に沿うような結果を生じさせる行動をとったために、自己の予言や期待通りの結果が出現する現象のことで、1997年以前は、少年の凶悪犯罪件数は増加していなかったにも関わらず、「昨今の少年は凶悪である」という世論により取締りを強化した結果、普通の人が「凶悪な強盗」だと考えない事例さえも、犯罪統計上では強盗事件のカテゴリに含まれるようになってしまった
 日本では、強盗といっても、1節で述べた事例のような些細な事件が、多く含まれているのである。

 他には、東京のコンビニエンス・ストアで、2002年に550円ほどの商品を万引きしようとした男性が店長に見咎められ、その静止を振り切って逃走するためにナイフを振り回し、揉み合いの最中で偶然にも店長を刺し殺してしまい、殺人犯として検挙されてしまったという事件が発生した。
 彼には人命を奪おうという意識は全くなく、そのまま進めばただの軽犯罪として処理されていたはずである。だが、犯行が失敗し偶然の左右によって強盗殺人犯となってしまった。土井はこの事件を挙げ、「このようなタイプの強盗犯を、たとえば計画的な覆面強盗犯と一緒に論じたのでは現実の理解を誤ってしまうことになる」と述べている(15)。

 一昔前に、青少年に有害なテレビや本などを規制しようとする青少年有害対策基本法が提唱された。このような動きは近年特有ではなく、50年近く前にも有害出版物を規制しようとする動きがあった。そのような動きに対して、藤本哲也は1958年に次のように述べている。(16)

 少年非行の原因として、その時、その時のターゲットされたマスメディアが、少年非行の波と奇妙に一致しているという点である。(中略)もし、こうしたマスメディアが、本当に少年非行の原因であるとするならば、それぞれのマスメディアの最盛期と少年非行のピーク時との間には、幾分かのタイム・ラグがあるはずである。ところが、第一波のピーク時と映画の最盛期が一致し、第二波のピーク時とテレビの最盛期が一致するということは、少年非行の原因が映画にあり、テレビにあるというのではなくて、それぞれのピーク時に、少年非行の専門化が、逆に、その原因をそれぞれのマスメディアに求めたことによるのではなかろうか。一九八三年の第三波のピーク時において、われわれがティーン雑誌に代表される有害出版物やテレビにその原因を帰そうとするのと五十歩百歩の態度であるといえるであろう。

 藤本哲也『比較法雑誌十九巻』-マスメディアと有害性の概念-

 本来、青少年犯罪とポルノなどを代表とする有害出版物に因果関係が確認されていないにも関わらず、無理に因果関係を見出して弾圧するという構図が50年近くも前から存在していたことがわかる。
 この自己成就型予言は、少年たちは凶悪化したというデータがないにも関わらず取締りを強化し、その結果件数が増加したことに対して「青少年は凶悪化している」と述べているのだから、非常に性質の悪い問題であるといえよう。


第三章 青少年は凶悪ではなく純真無垢となっている

 少年事件に深く関わっている人の中では、昨今の少年は凶悪化しているという風説とは逆に、幼稚化しているのではないかと考えている人も少なくない。
 もし統計数字上の凶悪犯罪の増加が少年の凶悪化を意味しているならば、その裾野である少年の粗暴犯も増加しているはずである。しかし、このことは【図7】を見ればわかるとおり、正しくない。少年の粗暴犯は増えるどころか減少している。

 それどころか、警察は凶悪な少年犯罪に対しては厳罰で臨むと97年に宣言し、それが事実であることは強盗件数の増加で証明されているが、実際は少年犯罪に対する刑事処分の割合は増えるどころか70年を境に減少し続け、保護観察の処分を受ける少年が激増しているのである。【図9】

 現在は少年の凶悪犯罪に対して、非常に風当たりが強くなっている社会である。警察は厳罰に望む方針を明らかにしている以上、少年の凶悪性が依然と変わりないとしても、刑事処分率は増加しているはずである。しかし、現実はそうではなく刑事処分率は激減し、保護観察は激増している。
 つまり、このことは少年は凶悪化しているのではなく、むしろ幼稚化しており、警察は少年に対して厳罰に望もうにも望めなくなっていることを指しているのである。

 社会学者の土井は、少年たちに欠けているのは良心ではなく想像力であるとした。想像力がないからこそ良心も見受けられないということである。(17)

 関西の少年院に勤務する法務教官は、少年院に入所してくる最近の少年を「パチモンですわ!」と評している。(中略)従来、少年院には、非行キャリアがかなり進行し、いわゆるワルとして人格形成の進んだ少年が多く収容されていた。したがって、少年院のプログラムも、その確立された反社会的な性格や信念の矯正をめざして組まれてきた。ところが、昨今は、重大犯罪を起こしたために少年院に収容されはしたものの、たんに性格が幼いだけで、矯正の対象とされるべき確立した信念体系が少年のなか見当たらないので、適切なプログラムを組むことができずに教官の側が途方に暮れてしまうといったケースが増えているというのである。

 殺人事件を起こした17歳の少年は、法廷で「遺族の気持ちがわかりますか」と問われ「わからない」と答えている(18)。
 小林よしのりは、純真無垢のことを「真っ白けの狂気」と呼び、決して褒められるものではなくむしろ恐ろしいものであると述べる(19)。

 純真無垢の子どもが多数存在するのは、社会が非行を生まなくなっているからである。かつての少年たちは、親や教師といった存在と対立に、それ対する反発を契機としてネガティブな感情を生み、それを上手にコントロールして成長してきた。しかし、現代社会は衝突なき社会である。反発する対象の消滅した子どもたちは、それゆえネガティブな感情を生み出す機会も成長する機会も与えられず「純粋無垢な存在」として歳を経るのである

 純粋無垢な存在の犯罪には社会的な動機は存在しない。つまり、少年犯罪の動機が大人たちに分からず「わけのわからない事件」と形容されるのは、彼らが犯行を犯す動機が見えにくいのではなく、それが彼ら自身の中でのみ通用する動機であり、社会的な意味での動機が存在しないからである。

おわりに
 少年の犯罪は昔から数多く存在していたことが、橋本などによって報告されている(20)。しかし、マスコミや世論はそれだけでは納得せず、今度はそれに変わる言説として「質が変わった」と述べる識者も増えてきた。また、質が変わったことがそのまま昔よりも今が悪くなったとは限らない。確かに、今の少年が起こす犯罪には「動機なき犯罪」がかつてよりも増えているかもしれないが、それはあくまでも外から眺める大人側の観点であって、当の被害者や周辺のものには全く関係のないものである。動機があって誰もが納得する凶悪犯罪が多数発生するよりも、動機のわからない犯罪ではあるが、稀にしか起こらないような社会の方がより住みよいのは当然である。

 最近の少年による凶悪犯罪は激増しておらず、むしろ少年たちは凶悪な事件をほとんど起こさなくなっている。そして、ごく一部で今も発生する凶悪事件も、それは少年たちが凶悪化しているためではなく、逆に幼稚で純真無垢となっているからである。

参考文献
(1)『青少年白書』平成10年度版 
(2)横山実「日本における少年非行の動向と厳罰化傾向」、鮎川潤「少年犯罪・・・ほんとうに多発化、凶悪化しているのか」、奥平康照「少年犯罪は凶悪化しているか」、大村英昭『非行の社会学』、広田照幸『教育言説の歴史社会学』、土井義孝『<非行少年>の消滅』、橋本健午『有害図書と青少年問題』、他多数
(3)前田雅英『少年犯罪――統計からみたその実像』
(4)『犯罪白書』平成14年度版
(5)土井義孝『<非行少年>の消滅』
(6)『犯罪白書』平成15年度版
(7)広田照幸『教育言説の歴史社会学』
(8)後藤弘子編『少年非行と子どもたち』葉梨康弘-警察と少年非行-
(9)広田照幸『教育言説の歴史社会学』、『犯罪統計書』各年度版
(10)デュルケム・内藤莞爾訳 『デュルケム法社会学論集』
(11)大村英昭『非行の社会学』
(12)堀康司『Q&A少年非行と少年法』
(13)小林道雄『世界』-少年事件への視点-
(14)寺尾史子『現代の少年と少年法』
(15)土井義孝『<非行少年>の消滅』
(16)藤本哲也『比較法雑誌十九巻』-マスメディアと有害性の概念-
(17)土井義孝『<非行少年>の消滅』
(18)読売新聞2000年6月9日
(19)小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』
(20) 橋本健午『有害図書と青少年問題』

 この記事へのリンク

トラックバック